2016鳥取青年会議所 田淵理事長 の“考動の追及”ブログ
鳥取JC活動報告 CATEGORY
一年間ありがとうございました。皆様へ心から感謝申し上げます。
2016年度公益社団法人鳥取青年会議所 会員 並びに関係者 各位
拝啓 時下ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。2016年度(公社)鳥取青年会議所の活動に対し、ご理解を賜り活動を共にして頂きましたことに深く御礼申し上げます。
本年も色々とございましたが、会員各位の積極果敢な考動の下、開催された事業全て最大限の成果を得ることが出来ました。本年度、舵をとらせていただいた理事長として心から皆様へ感謝申し上げます。
改めて会員の皆へ申し上げますが、我々は愛する因幡の未来を創造する運動を行っています。
利他の精神の下「公」のために時間や労力を費やしたこともとても尊いことですし、誇りに思ってください。
我々は「公」のために考動出来る素晴らしき組織であります。だからこそ、この運動を絶やすことはありえないし、更に加速させていかなければならないのです。
全ては次の世代を生きる人たちのために行っています。我が子達の世代へ、誇りあるまちを残すために次年度以降も更に運動の質を上げて行きたいと考えています。激動の一年間を無事に終える事が出来たのも、お支えいただいた鳥取JCすべてのメンバーそして関係各位の皆様のお蔭と衷心より感謝御礼を申し上げます。
本年度のスローガンとして定めました「考動の追及」に対して、皆が一丸となって表現してくれた一年間でした。
最後に、本年度の主な成果をここに記して最後のブログアップと挨拶並びに報告とさせていただきます。
1.
新組織体制並びに新設の会議設置及び運営の仕組みを新たに創り実行しました。
2.
財政規則審査会議の仕組みを構築することが出来ました。
3.
広報の在り方を抜本的に見直し、仕組化することが出来ました。
4.
正副理事長会議、常任理事会、理事会等円滑な運営を行ってくれました。
5.
会員の情報共有並びに交流を更に活発化することが出来ました。
6.
会員拡大必達20名以上純増を達成することが出来ました。
7.
あらゆる研修会によって会員の資質を向上させることが出来ました。
8.
芝生のまちへ向けて市民の意識変革を行うことが出来ました。
9.
青少年の郷土愛と自主性を育むことが出来ました。
10.
先人への敬意を醸成し10代の社会参画意識を芽生えさせることが出来ました。
11.
因幡の環境保全意識を高め次につなげる活動を行いました。
12.
究極の田舎を創造するための会議体を新化させることが出来ました。
13.
鳥取砂丘に新たな次代の幕を鳥取JCの手によって開くことが出来ました。
しかしながら、この活動の成果は、鳥取青年会議所の先輩諸兄が脈々と伝えてこられた志と、利他の精神の下、活動を積み重ねてこられた信頼と歴史があってのものであると改めて感じさせていただきました。OB諸兄の皆様へこの場をお借りしまして、改めまして感謝を申し上げます。
そして、変化して行く時代の流れに対応して、明るい豊かな因幡を創造する活動を継続的且つ発展的に行っていくことが我々の責務であります。次年度以降も理事長バッジと共に吉田友和君へ誇りと志を引き継ぎ、新たなる飛躍へ向けて「真友と共に」あらゆる地域課題に積極果敢に挑んで参ります。
改めまして、一年間本当にありがとうございました。一年間ご尽力を頂きました皆様へ心より感謝申し上げます。
敬具
2016年度公益社団法人鳥取青年会議所 第58代 理事長 田淵裕章
鳥取県民として青年会議所として今、我々に出来ること
鳥取県民として青年会議所として今、我々に出来ること
10月21日(金)14時7分頃、鳥取県中部の深さ約10キロを震源とする
マグニチュード6.6の地震が発生し、鳥取県倉吉市、湯梨浜町、北栄町では震度6弱の揺れが観測されました。
一部破損を含めた住宅被害が346棟確認されており、最も被害が大きい倉吉市では、18の施設に最大2,008人の方々が避難されていました。
そんな中、(一社)倉吉青年会議所のメンバーはそれぞれの家や事業所が被害を受けているにも関わらず、それらを後回しにしてでも早いまちの復旧を願って日々ボランティア復旧作業や炊き出しにあたられています。本当に頭が下がるおもいです。
こうした有事にこそJAYCEEとしての役割を瞬時に自覚され考動される、その有志に心から敬意を表します。
そんな中、鳥取青年会議所メンバーの事業所等におかれましても被災状況を報告いただいております。一日でも早い平常営業が出来ますことを願うばかりであります。
現在、鳥取青年会議所としては鳥取ブロック協議会木村会長と一般社団法人倉吉青年会議所の浦川理事長と密に連絡をとりつつ被災地からの支援オーダーに都度スピーディーな対応を心掛け対応に当たらせていただいております。
10/23には、浦川理事長より物資の供給依頼があり、一部の土木関係業種のメンバーにご協力をいただきブルーシート、野地板、UV土嚢、ビニールバンドを本日現地へ納入することが出来ました。この場をお借りしまして感謝申し上げます。その後も現場からの依頼に対して出来るだけ早い段階で物資を手配しております。
人的支援に関しましても、鳥取青年会議所は主に湯梨浜のボランティアセンターを担当させていただき、一週間単位で支援者を募り日々現地で普及作業に当たっております。
現時点では家屋の屋根の応急処置を優先的に進められておりますが、屋根作業が出来る人員を希望されております。それ以外にも土嚢作り等人的支援も出来る限り多く頂きたいです。
現時点で把握している情報ですが、ブルーシート張り依頼残軒数は、
10/30日18:00時時点
倉吉地区 362軒です。
今後も常に浦川理事長と密に連絡を取り合い現場のニーズに即した行動を取りたいと考えております。
またこの度、被害地域が一般社団法人倉吉青年会議所の活動エリアに集中していたため、支援の迅速化を考え、倉吉青年会議所で支援金口座を開設されました。下記に支援金口座の詳細を記載しておりますので、皆様からのご支援を宜しくお願い申し上げます。募金等に関しましては、下記に記載しておりますので出来る限りのご支援をいただければ幸いです。
がんばろう倉吉
がんばろう鳥取県
どうぞよろしくお願いいたします。
【鳥取県中部地震支援金口座】
■支援金口座
銀行名 :
山陰合同銀行 倉吉支店(067)
口座番号:
普通 3745412
口座名称:
(漢字)鳥取県中部地震災害支援金口座
一般社団法人倉吉青年会議所理事長 浦川尊弘
(カナ)トツトリケンチュウブジシンサイガイシエンキンコウザ
イツパンシヤダンホウジンクラヨシセイネンカイギシヨリジチヨウウラカワタカヒロ
※口座名義はすべて大文字で小文字ではありません。
(×シャ
○シヤ)
■支援金受付期間:2016年10月24日(月)から2016年12月31日(土)まで
■使用目的:青年会議所の被災支援活動及び復興活動資金等
※使途詳細・寄付先等は、(一社)倉吉青年会議所で決定させていただきます。
【ボランティアセンター情報】
■倉吉市災害ボランティアセンター
○場所:倉吉市上灘公民館(倉吉市上灘町9?1)
○募集範囲:鳥取県内の方
倉吉市社会福祉協議会
http://www.kurayoshishakyo.com/
■湯梨浜町災害ボランティアセンター
○場所:湯梨浜町役場
別館講堂(湯梨浜町久留19?1)
○募集範囲:鳥取県内の方
(活動内容は、瓦礫撤去、家屋の片づけ、ブルーシート張りとなります。)
湯梨浜町
鳥取県中部地震にかかる緊急災害情報
http://www.yurihama.jp/page.cgi?p=14473
■北栄町災害ボランティアセンター
○場所:北栄町社会福祉協議会(北栄町瀬戸36?2)
○募集範囲:鳥取県内の方
(活動内容は、瓦礫撤去、家屋の片づけ、ブルーシート張りとなります。)
北栄町 緊急災害情報
http://www.e-hokuei.net/item/5071.htm#moduleid1157
■鳥取県社会福祉協議会
■鳥取県
災害被災地応援サイト
戦後71年にしておもう「今」
戦後71年過ぎておもう「今」
皆さん、はいさーい!
無事沖縄より帰ってまいりました!
なぜ沖縄?って。
遊びでも観光でもなく、鳥取JCの事業で8/5から8/7まで
沖縄の地で事業を開催してまいりました。
http://www.tottori-jc.jp/2016/pressrelease/cate02/post-5/
今から71年前。
昭和20年4月1日、沖縄本島中部の西海岸に米軍が上陸し地上戦が行われたことは、恐らく学校教科書等でおぼろげに認識はされていることでしょう。
しかし、それ以上の史実をしっかりと認識し当時の沖縄で何が起き、
どんな人がどんな思い出で過ごし、まだ見ぬ米兵に恐れをなし、
必死に生きぬいた人々もいますが、
日本兵の犠牲も然ることながら、
多くの民間人の命も絶たれていったのです。
本来失われてはならない多くの命が亡くなってしまいました。
元を糺せば、私は昨年の予定者段階に社会参画推進委員会を設置しました。
委員会に担っていただくテーマは、
改正公職選挙法により18歳から与えられた選挙権。
これを時代の大きな波として捉え、今年こそ市民意識を変革すべき
絶好の時が来たと感じました。
これこそJC運動の根幹であると認識しています。
更に平たく簡単に言えば、
政治に興味を持つこともそうです。
国政や県政、市政を自分事と捉えることもそう。
因幡地域の未来をどうしたいのか自分なりの答えを模索することもそうです。
それらの意識を「主権者意識」と称します。
この意識が市民の土台(根底)になければ、何をやっても考えても明るい豊かな未来はありえません。その土台をどんなかたちでもいいから創りたかった。そんなおもいが全てでした。
そのミッションを最高のかたちで答えてくれた委員長の加藤晴也君をはじめとする、委員会の皆に心から感謝しています。(事業はまだ続きますが)
沖縄でのミッションは最高のかたちで終えたけれども、これからはじめるアンバサダー的行動が事業の肝です。
最後まで走り抜けてください。
そして、今回強い意志と勇気を持って参加してくれた8名の高校生。
貴方たちとの出会いに、ご縁に心から感謝します。
現地では当時の白梅学徒隊の実体験を中山きくさんからお伝え頂き。
まだ沖縄の地に多く眠る遺骨を収集され続けておられる国吉さんにご同行頂き遺骨を収集することも出来ました。
これも運命が引き寄せられたんじゃないかと感じています。
後でお聞きしたのですが、まだ成長期の小さな頭蓋骨だったようです。
当時どんなおもいで「がま(自然に出来た洞窟)」に身を潜め、どんなおもいでお亡くなりになられていったのか、考えると心に強い苦しみを抱きます。
今から71年前に終わった大東亜戦争。
少し強く表現しますが、
この歴史的真実を知らずして生きることを、我々は恥ずべきではないでしょうか?
残念ながら学校教科書もマスメディアもこれらの歴史を深堀しません。
理由はここでは伏せておきますが。
先人の「支え」と「未来へ向けた強いおもい」の先に、
今我々の命が生かされている。
活かされている。
そしてあらゆる自然や万物によって生かされている自分を受け止めて生きるべきではないでしょうか?
その上で自分の使命を模索して、どんな使命を持って生まれ、
どんな使命を果すのか一人一人考え実行していけば、
次の世代へ少しでも明るい豊かな時代を残せるんです。
それこそが、我々責任世代の果すべき役割じゃないですか?
私もまだ確実に自分の「使命」を確信しているわけではありません。
でも、日々模索しながら考えながら、今回の3日間の経験も積み上げながら、
世のため人のために生きることができる人生を送るため考え行動し続けます。
最後に
本事業構築にあたり、多くの皆様のお力添えを頂きましたことを、
この場をお借りしまして、心より感謝申し上げます。
調査段階から加藤委員長の受入れをいただいた島尻青年会議所の皆様。
事業に至るまで、事業当日にも事務局等お借りし、多大なご協力を頂きました那覇青年会議所の皆様。
そして8名の高校生の勇姿に心から敬意を評して。
本当にありがとうございました。
この71年前の史実を出来る限り多くの因幡市民へ広く伝えることが我々の使命であり、この度受けたご恩に対する恩返しであると、強い責務を感じつつ。
ブログの筆を置きます。
最終日因拍の塔にて
2日目お時間をいただいた信羽ホールディングス会長安里繁信さんへもこころから感謝です。