2016鳥取青年会議所 田淵理事長 の“考動の追及”ブログ
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まちを創るということ<その2>
まちを創るということ<その2>
一日空いて、改めてはいさい!
そんなこんなでいよいよ事業直前。
先ずパネラーとしてご参加いただく水野先輩が起こしになり、
「ここまで来たらすべてを受け止めてありのままで話を進めよう。」
と僕の緊張を察して暖かいお言葉を頂き。
僕もまな板の上の鯉になると腹を決め(笑)
冗談ですが、最終的にメンバーが大きな気付きを得られればそれでいいと。
それだけを考えて臨むこととなりました。
6時になり安里先輩が到着され軽く打合せをさせて頂きました。
安里氏「もう一度聞かせて。何を伝えて欲しいの?」
私は思うがまま目を真直ぐ見てお伝えしました。
そんなこんなで2009年当時ブロック会長を務められた岡崎先輩と,
2014年にブロック会長を務められた小谷先輩が起しになられ、
当時の思い出を振り返り談笑しつつ。
いよいよ講演会のスタートです。
最初は笑いを織り交ぜつつ会場を見事に引き付けられました。
当時GHQ統治下に灯が燈った日本青年会議所立上の背景から。
その後の日本JCの役割と役割を説明頂き、
安里先輩のJC入会からその後の成長とサクセスストーリーについて,
笑いを織り交ぜながら心地よいテンポで話が進みました。
安里氏「私はJCがきっかけで経営者になった。」
「我々は先ず出来ない理由を並べる。しかしチャレンジしなければ失敗も見えてこない。」
「人間一人の力はたかがしれている。私は我が子の病気を通して自分の力なさに気付かされた。それからの人生設計が変わった。」
そして今回のテーマでもある「利他の精神とは?」
「自分より人のために尽くすという意味ではない。先ずは自らが一人前の人間になることだ。その上で世の中のこと、人のためになることをしなければ意味がない。先ずは自分を律してその先に余力を使って世のため人のために生きるべきだ。」
「JCは思い出をつくる時間でも現実逃避の場でもない。学びの場であり、青年会議所とは・・・未来を創るために議論をする場である。」
「今の世の中は誰の責任だろうか?政治、行政?我々責任世代の責任において今のまちを変えていかなければならない。若者が流出して帰ってこないのもそこに希望を描けないから。大人に魅力がないから。それに尽きる。」
「青年経済人らしくその結果を追及しなければ意味がない。リアリストであれ。あなた達がその答えを出さなければならないのです。」
実に正論です。
なにか忘れかけていたことを思い出させていただいたり、気付かせていただく事ばかりでした。
そして休憩を挟みパネルディスカッションへ
再度伝えていただきたいことを安里氏にお伝えし、私を先頭に入場です。
コーディネーターとして進行を進めます。
先ずは水野先輩より「環光のまち因幡」推進運動策定の経緯を説明頂き、
続いて澤田委員長より本研修会のテーマを含め話いただき、
いよいよ安里先輩に鳥取JCの活動を客観的にお聞きしたいと話を振ったら・・・
振ったら・・・
安里氏「理事長。コーディネーター俺やるから。そっちのほうが良くない?」
田淵「は、はい。安里先輩以上にコーディネートできる自身はありません・・・恥ずかしながらお願いします。」
そこから始まった安里先輩が真に伝えたかったメッセージ。
要するに、貴方たちはリアリティーを持ってまちの事を本気で考えていますか?
今の人口と消費がそのまま続くと思っていたらこのまちは大変なことになる。
今の変化のスピードが極めて速いこの時代に、
5年、10年先の未来に責任を持てる活動をしなければ間に合わない。
JC活動の枠を飛び出してでも、地域を担う青年経済人として在り方を問いたださなければならないと。
とても強いメッセージでした。
沖縄訪問からを客観的に振り返ってみると、
すべては安里先輩の優しさだったのだと気付きました。
理事長としてリーダーとしてもっとリアリティーを追及しろと。
私自身が大きな成長をいただいた事業でありました。
遠く沖縄の地から、無報酬で鳥取の地まで来ていただいた理由もよく解りました。
それは、
これからの日本を創っていく各地の責任世代へ、日本人としての使命感から危機感を喚起し、
強いメッセージを発し考動させるためであったと認識しました。
そして、その行動の一つ一つがやさしさに満ち溢れていました。
事業を終えた後の安里先輩の穏やかな表情と立ち振る舞いから、そんなことを感じました。
このご恩をどう返したらいいのか?
きっと安里先輩には返しようがないのでしょうが、我々がもっとリアリティーを追及しつつ、
このまちを変えることが出来れば最大限のお返しだと信じて、
これからも因幡地域の未来のための活動を推進していくのだ、と強く志を抱きます。
そして、企画段階から沢山のお気遣いをいただき一緒に事業を構築しつつ、あたたかい目で我々を見守ってくださった水野先輩へも、この場をお借りしまして心から深く感謝を申し上げます。
最後に、この機会を与えてくれた澤田委員長をはじめとする人間力開発委員会の関係者各位に心から御礼と感謝をしつつ。
本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
まちを創るということ <その1>
まちを創るということ <その1>
みんさん!はいさーい。
前回に続き心は今だ沖縄にいるような衝撃が・・・
8/6シンバホールディングス事務所へ安里繁信氏を訪問してから、
理事長としての葛藤を記しておこうかと。
ビルの四階に通され、そこには異次元の空間が。
屋上に坪庭があり、なんと滝が流れ。
重厚感のある応接室へ通される。少し待合の末お呼びがかかり、
また別の更に異空間ような応接室へ。
緊張を隠せない僕と澤田委員長。
しばらくして・・・
なぜか作業着(ツナギ)を着た安里繁信氏が・・・
安里氏「安里です」
名刺交換をさせていただき
田淵「はじめまして。この度は講演依頼お受け頂きありがとうございます。我々全力で準備に当たります!」
安里氏「断れない人からの依頼だったからね。俺年間25本くらいしかJCのは受けてないんだ。鳥取久しぶりだな。何年ぶりかな?」
そんな前置きの話からはじまり・・・
安里氏「鳥取県は今人口何人なの?」
田淵「今58万人程度ですね」
安里氏「・・・・・・それほんとなの?ほんとに?やばいね。」「相当危機感持ったほうがいいよ。本当にやばいよ」
それからも「交通インフラは?航空便は?」
「基幹産業はなんなの?何で飯食ってんの?」
「観光入込数はどれくらい?」「宿泊ベット数は?」
「そのうちどれ位の宿泊につながってるの?」
鳥取県と活動エリアの因幡地域と鳥取市についてものすごい質問攻めに合い。
半分くらいしか即答できない自分に苛立ちを覚え・・・
安里氏「へぇ?パネルディスカッションするの?俺言うこと聞かないよ・・・」
「台本通り行かないよ」「理事長コーディネーター大丈夫?」
田淵「は、はい!準備徹底します!がんばらせてください!」
安里氏「ディスカッションで質問してもいいか?」
田淵「は・・はい!しっかり準備させてもらいます!」
緊迫した空間でそんなやり取りが続いていました。
もうお分かりですよね?
私がどれくらいプレッシャーを頂いたか(汗)
その日から事業当日まで出来る限り鳥取県の地域経済と観光の現状を把握するため色々な人、文献、聞き取りによって資料を揃えました。
揃えても揃えても心が休まらない日々。
仮に私の怠慢で研修会を台無しにしてはならない。
ただその一身でした。
結果として今この地域の現状がだいたい把握することが出来ました。
というより実際のKPIを把握していない自分に気付かされ。(Key Performance Indicator )
おいおい。これ仕事に置き換えたら俺ありえないじゃん。
もっと背景を熟知した上で裏付と説得力がなければ物事は動かせないし、
曖昧な計画を基に実行したところで成果も出ないでしょ・・・
情けなくもこんな場面でそんな自分に気付かされる・・・
そしていよいよ事業当日。
メンバー総出で空港へ安里先輩をお迎えに。
やはり緊張の面持ち。こちらも一切気を抜けないような気迫を感じました。
鳥取砂丘と砂の美術館をご案内し、ポケモンも10体以上ゲットされていました(笑)
<↑ご同行いただきました水野由久先輩>
鳥取砂丘についての感想ですが・・・・
安里氏「うん。おもしろい」
「おもしろい」「砂の美術館すごいね。これはすごい」
「あの辺一体(商店街辺り)リゾート開発できないの?国立公園だから色々縛りがあるの?」
「君たちの世代が変えなければ誰がやるの?」
そんなこんなでホテルまで送りして開始の19:00を迎える・・・・・
<その2>に続く
※安里氏の発言はあくまで私の記憶を辿っての記載です。不確かな表現であることはご了承の上ご閲覧ください。
戦後71年にしておもう「今」
戦後71年過ぎておもう「今」
皆さん、はいさーい!
無事沖縄より帰ってまいりました!
なぜ沖縄?って。
遊びでも観光でもなく、鳥取JCの事業で8/5から8/7まで
沖縄の地で事業を開催してまいりました。
http://www.tottori-jc.jp/2016/pressrelease/cate02/post-5/
今から71年前。
昭和20年4月1日、沖縄本島中部の西海岸に米軍が上陸し地上戦が行われたことは、恐らく学校教科書等でおぼろげに認識はされていることでしょう。
しかし、それ以上の史実をしっかりと認識し当時の沖縄で何が起き、
どんな人がどんな思い出で過ごし、まだ見ぬ米兵に恐れをなし、
必死に生きぬいた人々もいますが、
日本兵の犠牲も然ることながら、
多くの民間人の命も絶たれていったのです。
本来失われてはならない多くの命が亡くなってしまいました。
元を糺せば、私は昨年の予定者段階に社会参画推進委員会を設置しました。
委員会に担っていただくテーマは、
改正公職選挙法により18歳から与えられた選挙権。
これを時代の大きな波として捉え、今年こそ市民意識を変革すべき
絶好の時が来たと感じました。
これこそJC運動の根幹であると認識しています。
更に平たく簡単に言えば、
政治に興味を持つこともそうです。
国政や県政、市政を自分事と捉えることもそう。
因幡地域の未来をどうしたいのか自分なりの答えを模索することもそうです。
それらの意識を「主権者意識」と称します。
この意識が市民の土台(根底)になければ、何をやっても考えても明るい豊かな未来はありえません。その土台をどんなかたちでもいいから創りたかった。そんなおもいが全てでした。
そのミッションを最高のかたちで答えてくれた委員長の加藤晴也君をはじめとする、委員会の皆に心から感謝しています。(事業はまだ続きますが)
沖縄でのミッションは最高のかたちで終えたけれども、これからはじめるアンバサダー的行動が事業の肝です。
最後まで走り抜けてください。
そして、今回強い意志と勇気を持って参加してくれた8名の高校生。
貴方たちとの出会いに、ご縁に心から感謝します。
現地では当時の白梅学徒隊の実体験を中山きくさんからお伝え頂き。
まだ沖縄の地に多く眠る遺骨を収集され続けておられる国吉さんにご同行頂き遺骨を収集することも出来ました。
これも運命が引き寄せられたんじゃないかと感じています。
後でお聞きしたのですが、まだ成長期の小さな頭蓋骨だったようです。
当時どんなおもいで「がま(自然に出来た洞窟)」に身を潜め、どんなおもいでお亡くなりになられていったのか、考えると心に強い苦しみを抱きます。
今から71年前に終わった大東亜戦争。
少し強く表現しますが、
この歴史的真実を知らずして生きることを、我々は恥ずべきではないでしょうか?
残念ながら学校教科書もマスメディアもこれらの歴史を深堀しません。
理由はここでは伏せておきますが。
先人の「支え」と「未来へ向けた強いおもい」の先に、
今我々の命が生かされている。
活かされている。
そしてあらゆる自然や万物によって生かされている自分を受け止めて生きるべきではないでしょうか?
その上で自分の使命を模索して、どんな使命を持って生まれ、
どんな使命を果すのか一人一人考え実行していけば、
次の世代へ少しでも明るい豊かな時代を残せるんです。
それこそが、我々責任世代の果すべき役割じゃないですか?
私もまだ確実に自分の「使命」を確信しているわけではありません。
でも、日々模索しながら考えながら、今回の3日間の経験も積み上げながら、
世のため人のために生きることができる人生を送るため考え行動し続けます。
最後に
本事業構築にあたり、多くの皆様のお力添えを頂きましたことを、
この場をお借りしまして、心より感謝申し上げます。
調査段階から加藤委員長の受入れをいただいた島尻青年会議所の皆様。
事業に至るまで、事業当日にも事務局等お借りし、多大なご協力を頂きました那覇青年会議所の皆様。
そして8名の高校生の勇姿に心から敬意を評して。
本当にありがとうございました。
この71年前の史実を出来る限り多くの因幡市民へ広く伝えることが我々の使命であり、この度受けたご恩に対する恩返しであると、強い責務を感じつつ。
ブログの筆を置きます。
最終日因拍の塔にて
2日目お時間をいただいた信羽ホールディングス会長安里繁信さんへもこころから感謝です。